500年の歴史を誇る「博多焼酎」っちゃなんね?
「博多焼酎」の愛称は、山陽新幹線の開通がきっかけで誕生。
「博多焼酎」という言葉を知っていますか?
これは福岡県産の本格焼酎全体を総称したものなんですが、
実はけっこう歴史がある言葉です。
今からちょうど三十年前、一九七五年に山陽新幹線岡山~博多間が開通した際、
福岡県観光協会から県特産観光土産品に指定され、この「博多焼酎」という愛称が生まれました。さぁ焼酎伝来五百年の歴史とともに歩んできた博多焼酎の過去・現在・未来について、しばしお付き合いを。
500年の歴史を誇る「博多焼酎」っちゃなんね?
博多焼酎は江戸時代、大宰府から始まったみたい。
博多焼酎の歴史は以外と古く、まずは江戸時代、粕取焼酎がその原点です。
不思議なことにこの粕取焼酎県下の主な産地は大宰府・粕屋・糸島・八女など大宰府天満宮の神領田所在地に限られており、また山口県防府天満宮や京都市北野天満宮といった大宰府と関係の深いところにも見られます。
確たる記録は残っていませんが粕取焼酎は、大宰府ととてもご縁があるようです。
500年の歴史を誇る「博多焼酎」っちゃなんね?
粕取焼酎って江戸時代の農業リサイクルだったんだ。
なぜ、大宰府天満宮神領田を中心に粕取焼酎が広がっていったのか。
理由は、粕取焼酎づくりが江戸時代の農業リサイクルとしては絶大な効果を発揮したから。
1969年に「農業全書」をまとめた農学者宮崎安貞が広めたといわれるその製法は、打ち水をして数ヶ月熟成させた酒粕に籾殻を混ぜ、積み重ねたセイロで蒸してアルコール分を抽出するというもの。
酒成分が抜けた後の「下粕」は最上の肥料となり、農業増産に貢献しました。
米が原料の清酒粕からさらに粕取焼酎を採ってまた大地へと還元する、それはいまで言うリサイクルの原点だったのです。