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お酒のいろはにほへと

人の技と自然の力

いい水、いい米、そして優れた人の技。これらの要素がすべて揃わなければ、極上の銘酒は、生まれない。美味なる酒は、福岡で生まれる。酒造りという文化が花開いた、全国有数の酒どころ福岡。珠玉の雫が今日も生まれます。

500年の歴史を誇る「博多焼酎」っちゃなんね?

とにかく飲みたい!そんな時代に雑穀で焼酎づくり。

pic_06.png戦中戦後の食糧不足に加え進駐軍の米統制も加わった1940年代後半は、は、酒づくりにとっても過酷な次期でした。
食べる米さえないのですから、清酒の生産は僅か、原料の清酒粕も当然手に入りません。そこで福岡県の酒造家たちは、とうもろこし・高梁といった雑穀さらには甘藷・麦・米粉などで焼酎づくりに朝鮮を繰り返しました。そう、原料不足の時代は福岡でも芋焼酎が造られていたのです。愛飲家の願いに応えたいと取り組んだ試行錯誤の数々が、博多焼酎の現在へと繋がっています。

500年の歴史を誇る「博多焼酎」っちゃなんね?

生活が安定してくると焼酎の嗜好も変わる。

pic_07.png太平洋戦争の結果は焼酎にも大きな影響を与えました。戦前から続く新式焼酎<甲類焼酎>の浸透に加え、戦後はポートワイン・ビール、ウィスキーなど様々な外来の酒が県民の暮らしに流入。さらに食の洋風化が追い打ちをかけます。
ライトな味が好まれるようになると、古式蒸留による個性的な風味の粕取焼酎は主役の座を譲ることに。現在おなじみの減圧蒸留、新しい濾過方法など、マイルド化をめざした技術は1950年代から福岡で試みられたものです。

500年の歴史を誇る「博多焼酎」っちゃなんね?

高度経済成長期の博多焼酎は、米や麦で軌道に。

pic_08.png日本の復興も進み、良質な原料の供給が安定するにつれ、博多焼酎では、米と麦による焼酎づくりが主流に。戦後三十年の試行錯誤の中から、まず米焼酎が清酒文化圏である地元の嗜好にマッチして人気となり、博多焼酎の土台を築きます。そして、さっぱりとした味わいが特徴の麦焼酎が飲みやすい焼酎の代名詞として次代の覇者となっていくのです。

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