博多焼酎学大全
生活が安定してくると焼酎の嗜好も変わる。
太平洋戦争の結果は焼酎にも大きな影響を与えました。戦前から続く新式焼酎<甲類焼酎>の浸透に加え、戦後はポートワイン・ビール、ウィスキーなど様々な外来の酒が県民の暮らしに流入。さらに食の洋風化が追い打ちをかけます。
ライトな味が好まれるようになると、古式蒸留による個性的な風味の粕取焼酎は主役の座を譲ることに。現在おなじみの減圧蒸留、新しい濾過方法など、マイルド化をめざした技術は1950年代から福岡で試みられたものです。
博多焼酎学大全
高度経済成長期の博多焼酎は、米や麦で軌道に。
日本の復興も進み、良質な原料の供給が安定するにつれ、博多焼酎では、米と麦による焼酎づくりが主流に。戦後三十年の試行錯誤の中から、まず米焼酎が清酒文化圏である地元の嗜好にマッチして人気となり、博多焼酎の土台を築きます。そして、さっぱりとした味わいが特徴の麦焼酎が飲みやすい焼酎の代名詞として次代の覇者となっていくのです。
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福岡は清酒どころ。だから米焼酎も清酒取り焼酎もある。
筑紫・背振・耳納などの産地を源流に、玄界灘・周防灘・有明海へそそぐ筑後川・矢部川・遠賀川・山国川といった河川が平野部に肥沃な大地を形作ってきた福岡県。
肥えた土地は豊かな農作物を生みだし、名醸地として全国にも名を馳せました。だから米焼酎はお手のもの、清酒づくりの細やかな品質管理が焼酎にも活きて、繊細な味わいが醸されています。
さらに清酒そのものを蒸留した"清酒取り焼酎"も知る人ぞ知る博多焼酎の一ジャンルなのです。